呉の実家
呉の実家は、JR呉駅からタクシーでワンメーターちょっと山を登った斜面にあります。
距離的にそれぐらいなら歩けるんだけど、急斜面なんです。
広島県の瀬戸内海沿岸の地形は、海からわずかな平地を経て、すぐに険しい山が立ち上がる感じの土地が多いみたい。
最低でも奈良時代、おそらくそれよりもかなり古くから人が住んでいたであろうこの地域は
そんな山の斜面にも たくさんの家が立ち並んでいます。
実家の近所 竜王神社からの風景
こういう土地では、古いお墓は 墓地ではなく、そこら辺の眺めのいい場所に いきなりポツンとあります。
ウチのお墓もそんな感じ。 お墓からは 呉港が一望できます。
子供の頃 おじいちゃんに連れてきてもらった時は 呉駅前のビルも低くて、もっと眺めが良かったのを覚えてます。
そんな眺めの良い場所、ということは、 軍事機密の呉港が丸見え!
なので嘘か本当か知りませんが、なんと、当時の山の斜面の家には
南側、つまり呉港側には窓を作っちゃいけなかったんだとか。 窓は東と西に作って 南側は壁。
そして父親の実家はその当時からの造りなので、 家の南の壁に窓はないんです。
呉軍港の度重なる空襲を生き抜いてきたので、今となっては貴重な建造物です。(と同時に相当なボロ屋です)
ちょっとしたところに こんな欄間とか
部屋の中のガラス障子も一応透明なんだけど 向こうがゆがんで見えたりして、 たぶんすごく古いんですよね。
祖父は 実は相当 本気な?ちゃんとした?船乗りでして、戦前は 南氷洋にクジラを獲りに行ってました。
これ、若かりし頃のおじいちゃん
傍らにある大砲みたいなの、なんだと思います?
捕鯨船の キャッチャーボートの 捕鯨砲
ウチのおじいちゃん、 キャッチャーボートの砲手だったんだって、誇らしげに語ってました。
荒波の中、キャッチャーボートの舳先で クジラを狙う 健三じいちゃん
自分が小さい頃、写真指差しながら 「これが ワシじゃ」と。
クジラに向けて 捕鯨砲を打った瞬間 シュルシュルシュル~~っとロープの付いた弾が飛んでいきます
現代のホエールウオッチとか 動物愛護とかの立場とは まったく反対側なのかも、とも思いますが
戦前のお話、 アメリカやヨーロッパも、争うようにクジラを獲ってた頃の話なので、ご容赦願います。。
戦争中は輸送船に乗ってて、3度も沈められて生き残ってきたのだとか。
シブトイところは受け継いでると思います。
戦後 高度成長期が終わって、自分が生まれたあとまで 石油タンカー乗ってクエートに行ってたりしましたから
まー 相当本気な 船乗りだったんだと思います。
自分が海の上で落ち着くのも そんなDNAなのかな?
今回呉の実家で これらの古い写真もそうですが、いろいろ発掘しまして
こんなのも出てきました
ナポレオン?
祖父が亡くなったのが28年前、 船下りたのがその15年前で、海外で買ってきたものらしいです。
今でもある、単なるお土産物だとは思いますが、
プラザ合意よりも はるか前の物でしょうから、当時は 高かったかもしれませんね。
保存状態とか含めて、おそらく飲めたものじゃないんでしょうけど、
アルバム共々 大事に持ち帰らせていただきました。
それにしても当時の写真の劣化が激しい(銀色に焼けちゃってる)ので、これをなんとか出来ないかなと思案中。。
広島県 呉市にて photo by nobu & mami ( D750 )
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by nobmami | 2015-10-14 06:30 | 陸上風景